法人成りの解説記事を読むと、たいてい「個人事業の廃業届を出して、資産を法人に引き継いで……」という手順が書いてあります。でも、廃業しないという選択肢があることは、あまり書かれていません。
私は2021年に合同会社を設立しましたが、個人事業は廃業していません。法人と個人事業主、両方の立場を5年間並走させています(いわゆる二刀流)。この記事では、「廃業しない法人成り」がどういう仕組みで成立するのか、何に気をつけるべきかを当事者として書きます。
結論: 廃業しなくていい。ただし「事業の切り分け」が絶対条件
法人を作ったからといって、個人事業を廃業する義務はありません。開業届はそのまま、青色申告もそのまま継続できます。ただし成立条件が1つだけあって、それが「法人の事業と個人の事業が、実態として別のものであること」です。
私の場合、法人は取引先との業務委託契約(この契約のために法人を作りました)、個人はメディア運営などそれ以外の活動。売上の入口も仕事の中身も別なので、切り分けに迷ったことはありません。

なぜ「同じ事業を分ける」のはダメなのか
たとえばWeb制作者が、同じクライアントの同じ制作業務を「これは法人の売上、これは個人の売上」と都合よく振り分けたらどうなるか。それは実態が1つの事業を、税金と社会保険の負担が軽くなるように形だけ分けた——つまり租税回避と見られる典型パターンです。税務調査で否認されれば追徴課税ですし、そもそも毎年ビクビクしながら運営することになります。
切り分けの目安として私が使っている問いはシンプルです: 「この売上はどちらの事業か、第三者に説明して迷いなく答えられるか」。契約書・請求書・入金口座・仕事の中身が、法人と個人で自然に分かれているのが健全な状態です。
廃業しない法人成りのメリット
① 社会保険を法人側で固定できる(二刀流の本体)
法人で社会保険に加入すると、個人事業側の所得がいくら増えても社会保険料は役員報酬ベースで一定です。私の実額は月約25,100円(内訳はこちら)。国保の「稼ぐほど増える」構造から抜けられるのが最大の実利です。
② 青色申告特別控除と経費の枠を両方使える
個人事業を続けるので、青色申告特別控除(65万円)は引き続き使えます。法人側には法人の経費枠(社宅制度など)がある。両方の制度のいいところを、それぞれの事業の実態の範囲で使えるのが二刀流の設計です。
③ 撤退が柔軟
全部を法人に移す法人成りと違って、どちらかの事業が不調になっても、もう一方は無傷です。法人を畳む判断になっても個人事業は続けられるし、逆も然り。リスク分散として機能します。
実務はこうなる: 確定申告は「両方やる」
覚悟しておくべき現実も書きます。二刀流の事務は足し算です。
- 法人: 決算・法人税申告(年1回)+社会保険・源泉税などの手続き(年間ルーティンの実際)
- 個人: 従来どおりの確定申告。役員報酬(給与所得)+事業所得を合算して申告する形になる
- 会計ソフトも法人用と個人用で2つ必要(維持費の実額に書いた「見えないコスト」です)
廃業する法人成りが向いているケース
フェアに逆側も。事業が1つしかなく、それを丸ごと法人でやっていくなら、普通に廃業して資産を引き継ぐ法人成りが正解です(その場合の資産引継ぎ・仕訳の話は別記事で書く予定です)。二刀流は「法人に置ける事業と個人に置ける事業が、実態として2つある人」だけの選択肢——ここを勘違いして無理に2つ目の事業をでっち上げるのが、一番危ない失敗パターンです。
まとめ
- 法人成りで個人事業を廃業しない選択は合法かつ実用的。開業届・青色申告はそのまま継続できる
- 絶対条件は事業の実態が分かれていること。「第三者に説明できる切り分け」がテスト
- 事務負担は2倍弱になる。それでも社保の固定化(効果はシミュレーターで)が上回るかで判断する
【2026年3月の厚生労働省通知について】 2026年3月18日、厚労省は法人役員の社会保険の被保険者資格について、「役員としての業務が法人経営への参画を内容とする経常的な労務の提供であること」「報酬がその対価として経常的に支払われていること」を総合的に判断すると明確化しました(出典: 厚生労働省「法人の役員である個人事業主等に係る被保険者資格の取扱いについて」、確認日2026-07-07)。直接の対象は他者の法人に形式的に役員として加入する「国保逃れ」スキームですが、自分で設立したマイクロ法人でも実態のある業務と、それに見合う報酬が前提になる点は同じです。形だけの法人・実態のない役員就任では社会保険に加入できません。
※本記事は筆者個人の体験と2026年7月時点の公開情報に基づく一般的な情報提供であり、税務助言ではありません。事業の切り分けの適否は個別性が高いため、具体的な判断は税理士等の専門家にご相談ください。