マイクロ法人や役員報酬について調べていると、「役員報酬は8万円台にするといい」という話によく行き当たると思います。でも、なぜ8万円なのか、なぜ7万円でも9万円でもなく8万円台という中途半端なゾーンなのか、まで説明している情報は意外と少ない。
結論から言うと、8万円台というのは「税金」と「社会保険」の2つの制度上の境界線が、たまたま同じあたりに集まっているラインです。私自身、マイクロ法人の役員報酬を87,999円に設定しています。この記事では、その理由を境界線ごとに分解して説明します。
この記事の前提
- 合同会社(マイクロ法人)のひとり社長。役員は私だけ
- 東京・協会けんぽ・40歳未満(介護保険料なし)
- 扶養親族なし(甲欄・扶養0人)で計算しています
- 税額・保険料の制度は毎年見直されるので、数字は必ず最新情報で確認してください
境界線①:88,000円未満なら源泉所得税がゼロになる
1つ目の境界線は所得税です。国税庁の「給与所得の源泉徴収税額表」では、扶養親族等の数が0人(甲欄)の場合、その月の社会保険料等控除後の給与が一定額未満だと、源泉所得税が0円になるラインが定められています。このラインは長らく88,000円未満でした(2025年分まで)。
役員報酬をこのライン未満に設定すると、毎月の源泉徴収税額の計算・天引き・納付という事務がまるごと発生しません。ひとりで経理を回している身としては、金額の大小より「やることが1つ減る」ことのメリットが大きい。「役員報酬は8万円台がいい」という話の出どころの多くは、このラインだと思います。
ただし、ここで正直に書いておかなければならないのは、このラインは固定ではなく、税制改正で変わるということです。実際、令和8年分の源泉徴収税額表(月額表)では、このラインが88,000円から105,000円に引き上げられています(基礎控除・給与所得控除の見直しに伴う改正)。つまり「8万円台にすれば源泉徴収が不要」という目安そのものが、年によって数字がずれる可能性があるということです。ここは私の推測や一般論で断定できる部分ではないので、実際に設定する際は必ずその年の国税庁の源泉徴収税額表を確認してください。
境界線②:厚生年金には88,000円の下限がある
2つ目の境界線は社会保険、それも厚生年金です。厚生年金保険料は「標準報酬月額」という区分に基づいて決まりますが、この標準報酬月額には88,000円という下限(第1級)が設定されています。役員報酬をどれだけ低く設定しても、標準報酬月額はこれ以上下がりません。
私は設立当初、役員報酬を45,000円ライン(標準報酬月額58,000円の等級)に設定していましたが、このときの厚生年金保険料と、現在87,999円(標準報酬月額88,000円)にしたあとの厚生年金保険料はまったく同額でした。報酬を下げても厚生年金だけは下がらない、という下限に両方とも引っかかっていたからです。
変わったのは健康保険料の部分だけで、報酬を月30,000円ほど上げても、社会保険料の合計はわずか月3,000円程度しか増えませんでした。つまり「報酬を目一杯下げて社保を最安にする」という発想は、厚生年金の下限がある時点で効果が限定的だということです。実額の内訳はこちらの記事に書いています。

2つの境界線が重なった結果、私は87,999円にしている
整理すると、こういうことです。
- 厚生年金は88,000円の下限があるので、それ以下に下げても保険料は下がらない
- ならば下限の88,000円ぎりぎりまで報酬を上げても、社会保険料はほぼ変わらない
- ただし88,000円ちょうどにすると、その月によっては源泉所得税の非課税ラインを超えてしまう(2025年分の基準では「未満」が条件だったため)
- だから88,000円の1円手前、87,999円に設定すれば、厚生年金は下限のまま・源泉徴収の事務も発生しない
私が役員報酬を87,999円にしている理由はこれです。「なんとなく8万円台がいいらしい」ではなく、厚生年金の下限と源泉所得税の非課税ラインという2つの制度上の壁の、両方をギリギリ満たす金額を選んだ結果の数字です。法人に利益が残りすぎる場合に報酬を引き上げる判断をしましたが、その引き上げ先としてこの金額を選びました。
あなたの場合に何円が最適かは、扶養家族の有無や住んでいる都道府県、個人事業側の所得によっても変わります。目安を数字で見たい人は社会保険料シミュレーターで試算してみてください。
注意してほしいこと
役員報酬は「毎月同額」が大原則
いったん87,999円なら87,999円と決めたら、その額を毎月払い続けるのが原則です(定期同額給与)。変更できるタイミングは基本的に事業年度開始から3ヶ月以内に限られます。「今月は儲かったから多めに」は認められません。私はこれを設立当初に誤解していました。なお月の途中で就任した場合の日割り、払えない月の未払計上、交通費・通勤手当の扱いは、それぞれ論点が違うので別記事にまとめています。
「8万円台なら必ず得」ではない
この金額設定が効くのは、あくまで「法人の維持費や事務負担を払ってでもマイクロ法人を持つ意味がある」という前提が成立している人の話です。役員報酬を極端に下げれば当然、生活費として使える手取りも減ります(0円にすると社会保険に入れなくなるので、下げ切るのも別の問題を生みます)。健康保険の傷病手当金や出産手当金といった給付は標準報酬月額に連動するので、報酬を低く抑えるとこれらの給付水準も下がる点は理解した上で選ぶ必要があります。
数字は毎年見直しが入る
この記事で説明した源泉所得税の非課税ラインは、実際に2026年分から数字が変わっています。厚生年金の下限(88,000円)も将来にわたって変わらない保証はありません。「8万円台にすればいい」という結論だけを記憶するのではなく、決める前にその年の源泉徴収税額表と標準報酬月額表を確認する習慣をおすすめします。
まとめ:8万円台は「2つの壁」が重なる場所
役員報酬が8万円台に集中しやすいのは、偶然ではなく、厚生年金の下限(88,000円)と源泉所得税の非課税ライン(2025年分までは88,000円未満)という2つの制度上の壁が近い場所にあるからです。私自身はその両方をぎりぎり満たす87,999円という金額を選び、実際に運用しています。社会保険料の実額や内訳は実額公開の記事に、税理士なしでここまでの判断をどう回してきたかはこちらの記事に書いています。
【2026年3月の厚生労働省通知について】 2026年3月18日、厚労省は法人役員の社会保険の被保険者資格について、「役員としての業務が法人経営への参画を内容とする経常的な労務の提供であること」「報酬がその対価として経常的に支払われていること」を総合的に判断すると明確化しました(出典: 厚生労働省「法人の役員である個人事業主等に係る被保険者資格の取扱いについて」、確認日2026-07-07)。直接の対象は他者の法人に形式的に役員として加入する「国保逃れ」スキームですが、自分で設立したマイクロ法人でも実態のある業務と、それに見合う報酬が前提になる点は同じです。形だけの法人・実態のない役員就任では社会保険に加入できません。
参考(公式情報): 国税庁タックスアンサーNo.5211「役員に対する給与」、国税庁「令和8年分 源泉徴収税額表」、日本年金機構「厚生年金保険料額表」(いずれも確認日2026-07-07)
※本記事は筆者個人の実績と2026年7月時点の公開情報に基づく一般的な情報提供であり、税務・社会保険の個別助言ではありません。源泉所得税の非課税ラインや標準報酬月額の基準は税制改正・年度により変わります。金額の設定にあたっては、その時点の国税庁の源泉徴収税額表・日本年金機構の標準報酬月額表を確認のうえ、具体的な判断は税理士・社会保険労務士等の専門家にご相談ください。